何者にもなれない

 

去年の今頃、私は役者をしていました。
いつも出ている吹奏楽の演奏会で、演出の一部に劇があって。そこの役者に立候補したのです。

最近はよくその時のことを思い出します。

 

そういえばやったことないな、最後の演奏会だからやってみようかな、という思いで始めました。

やってみた結果、楽しくもあり難しい部分も多かったです。

自分の持っているもの全部を使って表現するということはとても楽しかったです。

誰かが作ったストーリーの中のキャラクターを理解すること、それを自分の中に落とし込むことにとても苦戦しました。私のキャラクターは、わりと演技してます!って感じで欲しいと言われたのですが、とは言ってもわざとらしすぎてもクサく感じてしまって、ちょうどいいところを狙うのも難しかったですね。発声練習をするのも放送をやっていた時以来で、やはり声を出すのは気持ちいいなと思いました。

 

本番が近くなり、衣装を決めようという話になった時のことです。

私は脇役で、主役の子が別の子から借りてきたワンピースを着ているのを眺め「いいなぁ」と思っていました。わくわくして「私の衣装はどんな感じですか?」と聞いたら、「あなたの普段着で行きましょう」と言われてとてもショックだったのを覚えています。

 

私は演技を通して、別の誰かになれるかもしれない。そう思っていました。

 

根暗で控えめな自分から、元気いっぱいでお世話焼きな街のお姉さんになれると。

 

しかし演じても、私は私でした。

 

演じることを続けていればいつか誰かになれるかもしれません。

また、誰にもなれないことを逆手にとって自分らしさを追求するのも良いと思います。

 

ただ、私がここに書き留めたいのはその先の未来ではなく、当時の感情のことなのです。

 

私は今まで、やりたいことは大体なんでもやってきたし、それなりに満足のいく結果や結論にひとまずたどり着けていました。私が凄いからではなく、恵まれている影響も強かったと思います。

色々条件はあれど、誰にでも世の中のことは大体何でもできると思っていました。

しかし、現実は結構厳しいもので。何かをするのはできても、何者かになるということはとても難しいことなのだと、最近思いました。

 

先日展示した時の作品にもいくつか自画像があるのですが、決して自分が好きだという訳ではないのです。言い訳っぽくなるからツイートで言うのもな~と思ってここに書こうと思っていました(笑)

 

友達とかにそれ自画像?って聞かれて説明するのがめんどくさいのでまとめて自画像とは呼んでいますが、厳密には自画像ではないです。絵の中の人物は、私と同じ要素を何かしら持った私ではない、名前のない存在です。例えばなりたい自分だったり、昔の自分だったり。自分に似ているけど今現在の自分とは少し違うということです。

 

私が何かを好きになるのも、そこに共感があるからだと思いました。前髪がぱっつんだからとか、髪が黑だからとか、名前が一緒だからとか、そういうところから始まって好きなものに自分を重ねてしまうんですね。だから、感情は自分ありきなんだと考えています。

 

自分の姿や感情、景色を描いていけば私が私をもっと理解できるようになるかもしれない。

無意識にそう思って描いているような気がしています。

でもそういう、名前のない存在があってもいいなと思ったり。

 

名前を付ければ、分類されてしまうから。

名前が無ければ、まっしろなままだから。

 

だからか、最近白とかグレーとか透明とか、そういう色や微妙な中間色が自分の中できてるんですよね。

 

まだまだ曖昧な方向性ですが、そんな感じの作品を作っていきたいなぁと思っています。

がんばるぞ~