流行やファッションには疎いですが、素敵な服を着るのが好きです。
着こなしによって自分も服も印象が変わるのが面白いと思います。
服は大体一枚で着ることを前提に選んでることが多いので、重ね着が難しく冬は苦戦しております。
デザインが気に入らないと買わないので、高めの服を何年も着まわしています。
今日はそんな服の話を描きたいと思います。
小さい頃、凄く仲の良かった友達と一緒に服を買いに行ってました。
私もその子も当時はおしゃれするのがとても楽しくて、でも高いからバーゲンとかに連れていってもらって一緒に買ってたんです。私は服にしか興味がなかったのですが、友達はブーツや帽子、小物にも気を使ってお洒落をする子でした。
休みの日に外に遊びに行く時や習い事に行く時も、友達はおしゃれな恰好をしていました。
私は普段はラフな格好なので、パーカーにズボンが多いです。おしゃれは楽しいけど、疲れるので。
「ねぇねぇ、あの子のお洒落凄い気合入ってない?」
「ほんと、モデル気取りかな?」
「性格に似合わないよねぇ」
友達のお洒落している姿を見て、そう言う子達も少なくありませんでした。
元々その友達は気が強く、周りからも距離を置かれている子だったから言われたのかもしれません。
その時の私は「お洒落しすぎてもダメなんだ…」と思いました。
大きな商業施設がいくつもない田舎ですから、みんなの着る服が被るのも珍しくありませんでした。
ちょっと大きくなって、自分のお小遣いでも少しなら服が買えるようになってからはその友達と県外のショッピングモールに連れて行ってもらったりしていたと思います。
クラスだったか部活だったかの打ち上げで、珍しく私が自分の好きな服を着ていった時。
「え!そういう服着るんだ~!結構可愛いじゃん!」
一緒に遊んだことのない別の友達がそう言ってくれたのを覚えています。嬉しかったなぁ。
でも、周りを見渡せば私と同じような服を着ている子はいません。
似合ってるからいいのか、私の性格だからいいのか、理由はわからないけれど私のことを浮いていると批判するような雰囲気はありませんでした。
大学生になって京都に来ると、そりゃあもう色んな服の人が居て驚きました。
学校の人は町の人達とはまた違ったジャンルで色んな服装をしています。
和服が多いのはやはり京都ならではであり、観光地だから色んな国の人も多いです。
物語の舞台になることも多いし、芸大もたくさんあります。
長いこと京都にいると、京都出身の人達が「京都は田舎」と言う気持ちもわかるような気がします。
でも私の地元と違った田舎だなと思いました。
大きくなった今でも、地元でお洒落な恰好をするのは気が引けます。
でも、京都に行く日は思い切りお洒落ができるのです。
最近地元に引きこもって、時々買物に付き合って外に出ると、友達を批判していた子の気持ちも少しわかるような気がしました。
その場所にあったお洒落かどうか、彼女達が気になったのはそこだったのではないかと思いました。
京都は不思議です。風土だけでも色濃い特色があるはずなのに、そこにいる人達がそれぞれ好きな恰好をしても気になりません。まるでキャンパスのようだなと思います。
たんぼと住宅街、寂びれた商店街。
自転車で外に遊びに行くというのに、かかとの高いブーツを履いてとびきりのお洒落をして帽子をかぶる友達。周りの人がそれを浮いていると感じるのも、仕方のないことでしょう。
何方が良いとか悪いとかを語るつもりはありませんが、田舎には強い同調圧力があるのだろうと感じました。この土地の人達は、凄く周りを気にしていて、自分が目立つことを恐れています。今までは日本人なら大体みんなそうだと思っていたのですが、それにしても強いと思いました。
良くも悪くも古さの残る土地。今まで土地が理由だと思っていましたが、それ以上に人に強い要因があるのでしょう。
最近の世の中の風潮からすれば「自分の好きなようにできないのは可哀そう」となるのでしょうが、私はそういう場所があっても良いと思います。
私の個人的な意見ですが、綺麗な服を着るだけじゃなく、その場に合った服を魅力的に着こなすことがお洒落じゃないかと考えたので、お洒落をしたい時は違う場所に行けばいい話なのではないでしょうか。
異端と思うか、素敵と思うか。
見た目も勿論ですが結局のところ私達は、人の心を見て決めているような気がします。