学びの目的

 

度々書いている気がするので、もしかしたらご存知の方もいるかもしれません。

私は今、先生になるための勉強をしています。先生になると決めたわけではありませんが、勉強してみると案外面白くて、私は結構この分野の勉強が好きだなと思いました。いつか退職してお婆ちゃんになるころには人に絵を教えられるぐらい描けてるだろうと信じ、そういう時に今の勉強が活きるといいな~なんて思いながら取り組んでいます。最初は親に言われたのもあり決して勉強は楽ではありませんでしたが、今ではやってみて良かったと思っています。

 

それももう大詰めで今度実際に授業をしに行きます。珍しく、ひどく緊張しています。

一度学校で予行練習をしたとは言え、不安でいっぱいです。私は昔、先生も授業も学校も嫌いでしたから、そういう生徒の気持ちがきっとわかります。それに、プロでもないのにプロと同じ場所に立つということがとても怖いです。学校に通っている時間が如何にその後の人生を大きく形成を左右するか、大きくなってからわかりました。ただでさえ多感で不安定な子供達なのに、今の時期なんてもっと不安なんじゃないかなと思います。そんな時に私が投入されるなんて、プレッシャーが強すぎます。自分で希望した事だから仕方ないことなのですが。

 

まぁ、行く前の不安なんて数えたらキリがありませんしやってみれば案外どうにかなるものです。これは経験則ですが。恐らく私が私のハードルを上げて自分の首を絞めているのでしょう、いつも通りですね!

 

私が行く先には、予想するに芸術にあまり興味関心がない生徒が多数いることでしょう。

そういう人達に楽しんでもらえるように、私が勉強して楽しかった絵の描き方を伝える授業を考えました。

先生は学ぶ楽しさを教えるプロ、だそうですから。

 

それにしても、何故学校では絵の描き方とかを教えないのだろうと疑問に思い先生に聞いてみました。

今の業界では、「上手に絵を描く生徒」ではなく「芸術に対する良き理解者」を育てることに重点を置いているそうです。それが全てだという訳ではありませんが、バランスをとるのが難しいのもあるのだそうです。なるほど。

しかし絵を描いていればよく聞く言葉は「凄いね、私にはそんなことできない」というような、壁を感じるような言葉ばかりでした。褒めてもらえることは嬉しいですが、それは良き理解者と形容するには少し違うと私は思います。

私は、絵の描き方を学んでやっと芸術に対して理解できたように思いました。この人はどうやって描いているのか、どんな経緯でこの作品を描こうと思ったのか、何故この作品が称賛され今も残っているのか、私はこの作品から何を感じたのか、これから私達はどうしていくのか。そう考えられるようになってやっと美術館や博物館の面白さに気付けたような気がしました。

 

授業の予行練習で「この先生、凄い絵を描くことが好きなんだな~というのがとても伝わりました」と言われました。思いがけないコメントでした。

私はそんなに絵が好きじゃないと思っていましたが、旗からみたらそうでもないのでしょうか。