爆弾の解き方

 

にんげんは、感情という爆弾を持って生きています。

困ったことに自分でも制御ができない時があります。

 

それはもう、仕方がないことなのです。簡単に切って切り離せるものではないのですから、爆発しそうになった時、爆弾をどう解除するかを考えるほうが効率的です。私なりの爆弾の解き方をここに書きます。これは、爆発が近いことを気付けた場合の解き方です。

 

私は、あまり他の人に話すという手段はとりません。また、ものに当たるという方法もとりません。できたらいいのですが、できる限り他の人に気付かれないでいたいからと、それによって影響する誰かや何かが悲しくなるのは避けたいからです。解除できたらそれに越しませんが、最悪一人で抱え落ちすることを考えているからです。

あと、人に話すというのは守秘義務問題があったり、その時に聞いてくれる相手がいるかどうかという問題もあります。話せる人が居る時は勿論頼りにしています。ただ簡単には喋らないというだけです。

 

前置きが長くなりましたが、どうするかというと爆発原因となった物事の流れを観察します。

まず、何故自分が悲しみや怒りが溢れるようなことが起こったのか、原因となった人は誰か考えます。

次に、公平に見て自分に非がないか振り返ります。原因となった問題の度合いは考えずに、自分の行動は良いことだったか良くないことだったかを判断します。自分にも悪いところも一つぐらいあるでしょう。

その次に、原因となった人のことを考えましょう。その人はどんな人で、物事の前はどう行動していたのでしょうか。もしかしたら、その人が原因となるまた別の原因があるかもしれません。

ここまで考えることができたなら、大体の人が気持ちと問題の整理が大体ついているのではないでしょうか。「どっちが悪い」みたいなことを考えるより、いろんな状況を振り返った上で「自分は悲しかった、許せなかった」と感情に素直になるようにします。

 

人の感情は伝播します。それこそ、海のようなものかもしれませんね。

全員が全員の感情を殆ど同じ様に受け取ることができたら、どうなるでしょうか。私は最終的に、荒廃した殺戮の世界になるんじゃないかと考えます。平和を望む明るい気持ちより、誰かを憎しむ負の気持ちの方が圧倒的に強いと思うからです。ただ負の気持ちは長続きしにくいでしょう。

 

目には目を、歯には歯をという言葉がありますが人の先には人が続いているのですから、やり返しや復讐をし始めたらキリがありません。それに、人を傷つけるという行為は誰もが無意識に行っている場合もあります。それ自体を非難するつもりはありません、私もこうしてこの記事を描いているけれどそれによって傷ついている人もいるかもしれないからです。極力気を付けていますが。

 

少し回りくどくなりましたが、「傷つけられたから傷つけていい」という訳ではないということです。誰しも完全ではありません、私達は生きているのですから。

 

悲しむこと、怒ること、間違えること、傷つけること…それ自体は何も悪ではないのです。

 

何が正義か悪かを判断しているのは私達です。この世界は多くの思想の存在により、誰かの正義が誰かにとっての悪であることもあるでしょう。もし他者と関わりながらも楽しく生きたいなら、それをいつも認識している必要があると考えています。

 

悲しみを誰かに押し付けたって、悲しみが広がるだけなのです。そんなことを考えながら、私は今日も海を眺めています。人が幸せに生きる為にはどうしたらいいのでしょうね。少なくともその解決の一つが学びなんじゃないかと、私は考えています。すぐに変わるものではありませんが、偉い人達が学校を建てるのは、そういうことでしょう。

 

私は先生になるつもりはあんまりないのですが、先生になるための勉強をしている時はそんなことを考えているのです。