じんるいの生き方

 

昨日も今日も、部屋から一歩も出ない生活でした。

リビングではずっとニュースが流れています。

ごろんと寝転がってスマホを見ても、そう変わらない世界でした。

 

海。

 

私達は陸に住んでいますが、この世はまるで海の様です。

他の動物だったらきっとそう思わないでしょう。にんげんだから思うのでしょう。

 

あ、ずっと「人間」の表記に悩んでいたのですが「にんげん」って良いですね。可愛い。

 

私は考えることが好きなので「自分が生きること」については何度も考えてきたのですが、「じんるいが生きること」についてはあまり考えてこなかったことに気付きました。

 

今回は感染症をひとつのきっかけに私が感じた、「じんるいの生き方」を話したいと思います。

 

 

 

にんげんはとても不思議な生き物で、「心」に強い力を宿しています。

 

目に見えないし、体のどこにあるかもわからないのに、にんげん心の力はとても偉大なものです。じんるい以外の生き物にも(もしかしたら存在する全てのものにも)同じように心が存在しますが、影響力が違うのではないかと私は考えています。じんるいは今、自然界で他の動物と同じように生きる力を持ち合わせていません。じんるいがここまで発展してきたのは、心による強い力があったからでしょう。

 

そのことから、にんげんがにんげんとして生きていく為には体とは別に心が必要であると定義します。

 

「にんげんは群れで生きる」、というよりもはや「じんるい皆で生きる」に近いです。それはにんげんの心の力は決して一人で抱えきれるものではないからでしょう。生きること自体に余裕が無ければにんげんの心はたちまち不安定になり、「全員で生きる」という生き方をルールとして設定しなければ、バトルロワイヤルが発生してしまいます。だから全員で生きることができるように社会というシステムが作られたと考えます。そうすることで、基本的な心は安定し、にんげん同志で心を支えあうことで更に生存確率が上がるのです。なんと素晴らしい世界でしょうか。

 

「人間は一人では生きられない」とよく言われますが、勿論間違ってはいないと思うのですが

私は「にんげんが生きるにはにんげんが必要」だと思うのです。ただ動物として一人の人間が生きることはきっとできることでしょう。でも、にんげんとして生きるにはじんるいと共に生きねばなりません。

 

では、どうすればじんるいは生き続けることができるかいうと「じんるい皆で生きること」これに尽きると思いました。自分だけ生きようとか、あいつは落としてやろうとか、そういうことを考えてしまうのは心の力と生存本能の組み合わせ故に仕方がないのですが、それは同様に自分の身を滅ぼすことにもなるのです。

 

ただ難しいのが、にんげん同志が生きていくためには歩み寄りが必要だということです。心は誰にも完全にはコントロールできませんが、唯一舵を切ることができるのは自分だけなのです。

 

言葉を聞いてくれない、受け止めてくれない、許してくれない。とても辛くて悲しいことでしょう。突き落とすのもにんげんで、そこから救うのもにんげんです。ただ、誰かをあてにしていては自分が先に死んでしまうかもしれません。生きる為には、自分が変わっていくこともまた必要なのです。

 

それ故に、人間には多様性が求められ、心の力に振り回され、時に大切なこともすぐ忘れてしまいます。

 

だから、どんなに当たり前のことも大切にしていく必要があると 私は思うのです。

当たり前でいいのです。気を付けても忘れてしまうことがある、いつかあっけなく消えてしまうこともある。当たり前を認識できている間だけでも噛みしめていれば、人知れず誰かに当たり前を伝えていることでしょう。そうして今までも社会が回ってきて、これからも回っていくのです。